
私は訪問看護ステーションの看護師です。最近よく話題になっているカスハラについて関心がある人は多いと思います。
でも私の場合、そもそも自分がされていることを“カスハラ”だと認識できないことが悩みなんです。
たとえば先日、うつ病の利用者さんからひどい暴言を吐かれました。
私は勇気を出して「やめてほしい」と伝えたのですが、「僕はトラウマがあって感情のコントロールができないんだから仕方ないでしょ!あなたは看護師なんだから、暴言を吐かれることくらい許容しなさいよ」と怒られました。
そこで私は「確かに私の理解が足りなかったな、悪いことをしてしまったな」と思い、謝ってしまったんです。
その話を管理者や同僚にしたら、「それは利用者さんの方がおかしいよ」「次からは謝らなくてもいいから、一緒に対応を考えましょう」と声をかけてもらいました。
正直、とても驚きました。自分ではまったくそんな発想にならなかったんです。
思い返せば、これまで同じようなことはよくありました。利用者さんが不満そうにしていると、私が悪いと思ってしまう癖があるみたいで、すぐに謝ってしまうんですよ。
どうしたら、相手の言うことがおかしいと気づくことができますか?
きちんと気づけて、うまく距離がとれるようになりたいです。
ここまで読んで、「まさに私のことだ」と感じた方も少なくないのではないでしょうか。
もしそうであれば、あなたはきっととても優しく、真面目に人と向き合っている方だと思います。
ただ、その優しさゆえに、自分の心の境界線を守ることが難しかったり、相手の役割や責任まで抱え込んでしまったりすることはありませんか?
そうした状態が続くと、知らず知らずのうちに依存されてしまったり、利用者の理不尽な言動に巻き込まれてしまったりするリスクがあります。
そして、最終的にはあなた自身が疲弊してしまうことにもつながりかねません。
今回の記事では、「対人援助職における利用者との安全で対等な関係性」について、わかりやすくお伝えします。
ぜひご自身の関わり方を振り返りながら、読み進めてみてください。
対人援助職と利用者の理想の関係性とは?
私が考える「対人援助職と利用者(患者・家族)の理想の関係性」は、次のようなものです。
- 「援助職の役割」と「利用者の役割」
お互いが自分の役割を果たし、相手の役割まで背負わないこと。 - 「援助職の責任」と「利用者の責任」
それぞれが自分の責任で行動し、相手の責任まで引き受けないこと。 - 「時間の限界」「役割の限界」「責任の限界」
相手の限界を理解し、尊重する。 - 安全で誠実なコミュニケーションで対話ができること。
これが、私が大切にしている「対人援助職と利用者の理想的な関係性」です。
では、もう少し具体的に見ていきましょう。
たとえば、私たちが風邪をひいて病院を受診する場面を想像してみてください。
このとき、安心して適切な診察を受けるために必要なのは、「患者としての役割と責任をきちんと果たすこと」です。
つまり、援助を受ける側にも、一定の責任や態度が求められるということです。
ここで、私自身が患者として診察を受けるときに意識していることを、いくつか挙げてみますね。
- 診療時間内に受付を済ませ、診察券と保険証を提示する。問診票があれば正確に記入する。
- 待合室ではマナーを守り静かに過ごす。
- 診察では症状をできるだけ正確に伝える。わからないことがあれば質問する。
- 診察は他の患者さんの迷惑にならないように適切な時間内で終える。
- 処方された薬は指示通りに正しく服用する。
- もしこちらへの対応で不安や不満に感じることがあった場合には、感情的にならずに落ち着いて話をする。
きっと皆さまも同じではありませんか?診察を受けるときは、医師や看護師などのスタッフが安全に仕事をできるように、患者としても協力することが大切ですよね。
お互いがそれぞれの役割を果たすこと、正確で安心できる診療が受けられるのです。
援助職を悩ませる、境界線を守れない利用者との関係性とは?
一方で、患者が自分の役割を果たさずに責任を押し付け、時間などの限界を尊重できないとどんな問題が起きるでしょうか。
- 待合室で携帯電話をマナーモードにせず通話を続け、受付スタッフに注意されても改めようとしない。
- 診察では症状を伝えずに、自分の欲しい薬だけ一方的に要求する。
- 主治医が「それでは困るので症状を教えてください」と伝えると、感情的になり怒りをぶつける。
- 風邪の症状で来院したにも関わらず、家族の悩みについて30分以上話し続ける。
- 医師の指示を守らずに自己判断で服薬を中断し、そのうえで「治らない」と不満を訴える。
こうした関係性では、医療スタッフは本来の役割を安全かつ十分に果たすことができません。
つまり、これは「対等な関係性」とは言えないのです。
「お互いに尊重し合い、安心して関わることができる関係性」が医療や介護現場においてもっとも望ましいあり方です。
そして、「この関係はおかしい」と気づき、適切に対応できる力こそが、対人援助職にとって必要な視点なのです。
もちろん、すべてが自己責任とは言えません。
認知症や精神的・身体的な障害などにより、自身の行動を適切にコントロールできない方も多くいます。
そういった場合には、周囲の理解と支援が不可欠です。
しかし、それでも私たちが押さえておくべきなのは、「対人援助職と利用者(患者)の理想的な関係性」です。
そこを軸にして働くことが、安全な関係性を築く第一歩となります。
「この関係って、なんかおかしくない?」という感覚を大切に!
それでは、ここまでを押さえていただいた上で、今回の相談内容を見てみましょう。

僕はうつ病で感情のコントロールができないんだから仕方ないでしょ!あなたは看護師なんだから、暴言を吐かれることくらい許容しなさいよ。
あなたはこの利用者の言い分が理不尽であることに気づきますか?
トラウマがあって感情のコントロールできないことはとても気の毒なことですよね。
たしかに、うつ病やトラウマの影響で、感情のコントロールが難しいという状況はありますから、そのような背景に思いを寄せることは、援助職にとって大切な視点です。
ただし、だからといって人を傷つけても良いということにはなりません。
「病気だから仕方がない」「看護師だから我慢して当然」という考え方は、自分の行動の責任を放棄していると言えます。
援助職がすべてを無条件に受け入れるべきだ、というような関係性では、安全な支援は成立しません。

この前は大きな声を出してしまい本当にすみませんでした。
過去のトラウマがあって、時々この間みたいに感情のコントロールが難しいことがあるんです。精神科の先生にはすぐに報告して、薬の調整をしてもらっています。
これからは十分に気をつけますが、もし僕の担当を続けることがご負担でしたら、遠慮なく言ってください。
このように伝えてもらえると、どう感じるでしょうか。
利用者が自分の言動に対する責任を理解していること、そしてこちらの立場や気持ちに対して敬意を払ってくれていることが伝わります。
その結果として、私たち援助職も「この関係は安心して関われる」と感じることができます。
まさにこれが、理想的で安全な関係性のかたちと言えるのです。
たとえば、介護職が利用者の家族に代わって日用品を用意した場合を考えてみましょう。

今週はご都合が合わなかったとのことでしたので、〇〇さんの日用品、こちらで代わりにご用意しておきました。来週以降またよろしくお願いしますね

ああ…ありがとうございます。すみません、急に行けなくなってしまって…。助かりました。本当にありがたいです。来週はちゃんと伺いますね。
このやり取りは、安全で信頼に基づいた関係性の一例と言えます。
家族は「本来は自分たちが担うべき役割」を理解しており、その上で介護職の対応に感謝と敬意を示しています。
その姿勢が伝わることで、介護職側も無理なく安心してサポートを続けることができるのです。
このように、お互いの立場や役割を尊重し合える関係性こそが、対人援助職にとって理想的な「安心の土台」となります。
同じ場面でも、こんなやり取りになることがあります。

今週はご都合が合わなかったとのことでしたので、〇〇さんの日用品、こちらで代わりにご用意しておきました。来週以降またよろしくお願いしますね

日用品をそちらで用意することくらい当然じゃないですか?じゃあ聞きますけど、私が1か月来れなくて連絡も取れなくなったら、妻が飲まず食わずでも放置するんですか?
このやり取りからは、家族が自分の役割と責任を介護職に押しつけている様子が見て取れます。
そして、相手の行動に対する感謝や敬意もなく、一方的に要求だけを突きつけているのです。
このような関係性では、介護職は安心して仕事を続けることができません。
「お互いを尊重する」という最低限の土台があってこそ、対人援助職は役割を果たせるのです。
ここまで読んでみていかがでしょうか。
「安全な関係性」の理解や築き方が難しいと感じる方は、もしかすると仕事以外の場面でも同じような問題が起きているかもしれません。
たとえば
- つい過剰に人の役割まで背負い込み、疲れ切ってしまう
- 自分の意見を後回しにして、相手の機嫌ばかりうかがってしまう
- 理不尽な要求を断れず、人間関係でストレスを抱えてしまう
こんなことはありませんか?
自分に当てはまるなという方は、「共依存」を切り口に自己理解を深めてみることをお勧めします。
対人援助の仕事は、安全な関係を築く力があってこそ、持続可能でやりがいのあるものになります。
そのためにも、まずは自分自身の日常や人間関係を点検する習慣をもってみてください。
あなたが無理なく、自分を大切にしながら働けること。
それが、質の高い支援にもつながっていくのです。
