今回は、心優しき対人援助職が陥りやすい「気持ちに寄り添うの大きな誤解」について、解説していきます。
普段、カスハラ対応などの研修でこの話をすると「とてもグサッと刺さった」「印象的だった」という感想をいただきます。
もしもあなたが要求の多い利用者への対応で日々疲れているなら、ぜひ最後まで読んでみてください。
「気持ちに寄り添う」とは?
思い通りにならないとすぐにムキになる部下がいます。ネットで調べたら、気持ちに寄り添った対応が必要だと書いてあるので、できるだけ寄り添うことを意識して対応しています。有休の希望が多いんですけど、そこも寄り添って、大変だろうからと休ませています。でも、部下の態度は全く良くなりませんし、それどころか周りからは『どんどんエスカレートしている』なんて言われます。私の寄り添いが足りないのでしょうか…
患者のご家族なんですけど、毎回要求が強くて、思い通りにならないと声を荒げて怒るんです。うちのモットーは「患者の気持ちに寄り添うこと」なので、ひたすら寄り添い対応しています。この前は、納得がいかないといって3時間くらい病院に居座りました。「私がいいと言うまでここから離れるな!」と言うので、寄り添いが大事だと思って、そこから離れないで対応しました。
カウンセリングやコンサルティングの場面で、このような話をよく聞きます。
ここまで読んだだけで、違和感を覚えた方もいると思いますが、この「気持ちに寄り添う」という抽象的な言葉は、実はとてもくせ者なのです。
意外と誤解して捉えている方が多くて、それにより問題を大きくしてしまうことにつながります。
「気持ちに寄り添う」を別の言葉で表現すると、「共感」です。
「共感」というのは、相手の立場に立って、感情を共有することです。
例えば、部下が職場の方針に対して「納得できません!やり方を変えてください!」と怒っていたら、「そうか、上司の私にそこまで強く言うんだから、それだけ納得できないんだな。それは苦しいだろうな…」と、相手の気持ちを想像する。
これが共感であり、部下の気持ちに寄り添うことになります。
子どもが「まだゲームやめたくないよ!!」と言ったら、「まだゲームやりたいのに、やめないといけないのは辛いよね」このように子どもに声をかけることも、共感ですよね。
共感は、相手の気持ちに寄り添って対応しますが、明確に区別をしなければならないのは、「共感」は「要求に応えること」ではない、ということなのです。
「気持ちに寄り添う」を誤解すると、要求を断れなくなる。
「気持ちに寄り添う」を「要求に応えること」と混同すると、相手の要求に一生懸命にこたえることになります。
まだおれの話は終わってないんだよ!電話を切るんじゃないぞ!
このような状況の場合、「寄り添わなければ…」と、電話を切らずにいつまでも話を聞かなければなりません。
わがままな部下への対応も同様で、要求通りに仕事の負荷を減らさなければなりません。
相手がこちらの気持ちを尊重してくれれば、「わがままばかりでごめんなさい」となるかもしれませんが、そうでない場合、依存されて問題行動がエスカレートしていきます。
だから、「寄り添い」をはき違えると、より問題が悪化するのです。
「気持ちに寄り添う」けれど、「要求は断る」
YouTubeみたい!まだ見たい!見せて!
ダメだよ。もう1時間見たでしょ?
でも見たいの!見せて!
見たいのは知ってるよ。いつも夢中だもんね。だから見れないのは辛いよね。
だから見せて!
ダメなものはダメだったば。辛いだろうけど、ダメなの。
イヤだよー!!
イヤだよね。それだけ言うんだから、イヤなのはよくわかるよ。
これは「気持ちに寄り添う」けど「要求は断る」の一例です。
要求の多い利用者への対応もこれと同じです。
・お急ぎであることはよくわかりました。苦しい思いをさせてしまい申し訳ございません。
・ただ、私ひとりで判断できることではありませんので、一度電話を切らせていただきますね。
相手の気持ちには寄り添う。
でも、要求は断る。
今回のブログは、読む人にとっては当たり前の話に感じたかもしれませんが、日頃のコミュニケーションの参考にしていただければ嬉しいです。