今回は、「利用者や患者の話を聞きすぎて疲れてしまう」という方のお悩みを紹介し、もっと楽に話を聞けるようになるための具体策を紹介いたします。
ぜひ最後まで読んでみてください。
同僚みたいに、うまく話を切り上げられるようになりたい!
訪問介護をしているのですが、利用者の話を聞きすぎて、うまく切り上げられずに疲れています。
昨日も、ご家族との関係で悩んでいる利用者から、「ねえ、どう思う?どうしたらいいと思う?」「ひどい息子だと思わない?」とか色々と聞かれてしまって、なかなか切り上げられなくて…。とても辛そうだし、なんか言ってあげないとあげなきゃと思うんですけど、いい助言もできないし、どうしていいかわからなくて。
結局、滞在の時間をオーバーしてしまいました。なんとか話を切り上げて、次の訪問先に急いで向かったんですけど、私ってこんなことの繰り返しな気がします。電話も長くなりがちですし。
同僚からは「そんなに一生懸命に聞かなくても大丈夫だよ」「時間だと言って電話を切ればいいんだよ」とか言われますが、まだ話がしたそうな利用者さんの話を強引に終えて、それで相手をガッカリさせるたらと思うと…。
教えてほしいのですが、話を聞きすぎてしまう私は、どのようなことを意識したらもっと楽に話が聞けるようになりますか?
対人援助職にとって、「話を聞く力」というのは利用者と関係を築く上で不可欠なものです。
でも、「話を聞きすぎてしまう」となると、利用者からは喜ばれるかもしれませんが、他の業務に支障が出るし、何よりストレスがたまって気持ちの切り替えが難しくなりますよね。
実際に、私がこれまで勤めたどの職場にも、「どうしても電話が長くなってしまって、残業が増える」「患者の話をなかなか切り上げられなくて疲れる」といった悩みを抱えている同僚がいました。
もしあなたも同じような悩みを抱えているなら、このブログを読んで、ご自分のコミュニケーションを振り返ってみてください。
利用者の悩みや不安を「解決してあげる」必要はない。
話を聞きすぎてしまう人ほど、相手の悩みや心配事を「解決してあげよう」と一生懸命に対応します。
このように考えること自体が悪いわけではありませんし、利用者にとっては頼れて優しい援助職だと思います。
ただし、意識していただきたいのは、自分自身の職種に課せられた「役割」です。
介護職にとって利用者の話を聞くことはもちろん仕事の一部であると思いますが、「悩みごとを解決すること」までが役割に含まれているのでしょうか?(ここでいう悩みは、人間関係や精神的な悩みと捉えてください)
介護職である自分がどこまでの役割や責任を背負っているのかというところがポイントで、私はこれを「役割の境界線」という言葉で説明しています。
この「役割の境界線」が曖昧だと、背負うべきではない役割や責任まで背負い、「解決してあげよう」と一生懸命に話を聞くことになります。
そこで利用者に良い助言ができなかった場合、「役に立てなかった」と自分を責めてしまいます。このような状況に陥ると、当然ですが話を聞きすぎてしまい、時には利用者に依存され、疲れてしまいますよね。
自分たちに求められている役割がどこまでなのか、時には職場内で意見交換をするなどして、軸を整えて話を聞きましょう。
「どうしたらいいですか?」と聞かれた時の上手な距離の取り方
利用者の話を聞いていると、「どうしたらいいですか?」とダイレクトに助言を求められることは多々あるでしょう。
この「どうしたらいいですか?」と言われると、「何か助言をしなければいけない」と思ってしまいますよね。このような場面で、うまく距離をとる言葉や対応を二つ紹介いたします。
「私なら○○しますね」と伝える。
「私なら」という言葉を付けることで、責任の境界線を明確にできます。
「自分はこう考えるけど、それはあくまでも私の考えで、あなたがどうするかはあなたが決めてくださいね」というメッセージです。
突き放すような言い方にならないように、相手の気持ちを尊重して伝えましょう。
「困りましたね…」と言って一緒に困る。
「どうしたらいいですか?」と聞かれて、「何か言わなければ」と試行錯誤する必要はありません。
わからなければ「わかりません」と言ってももちろん大丈夫です。でも、そこまではっきりと言いづらい関係もありますよね。
その場合は、利用者と一緒に困ってあげるだけで十分です。「困りましたね」「難しいですね」と言って、解決できない苦しさに共感をしてあげれば良いと思います。
確かに、それは困りましたね。どうしていいか悩みますね…。
その上で、適当な時間を見計らい、「また次の時に話を聞かせてくださいね」と伝えて話を切り上げます。
「共感」と「同調」の違いを意識する。
「私は入院なんてしたくなかったのに!医者も娘も本当にひどい!」こう怒っている利用者に対して、「それだけ辛いお気持ちになられたのですね」と伝えたら、それは利用者の気持ちに「共感」したことになります。
一方で、「それはひどいですね!」と伝えたら、あなたは利用者の意見に「同調」したことになります。
人の話を聞く時、この二つの違いを理解して、使い分けることが大切です。
・共感:他者と喜怒哀楽の感情を共有すること。
・同調:相手に調子を合わせ、相手と同じ意見や態度になること。
どちらが良い悪いというわけではありませんが、共感と同調のどちらを選択するかによって、相手との関係は変わってきます。
利用者が医者や家族への不満を漏らしている時、同調をすれば「より心理的に近い親密な距離感になりやすい」ということはわかると思います。
利用者からすれば「この人は私の味方だ!」と思い、より不満や愚痴をエスカレートさせる可能性は高くなりますよね。
一方で、「それだけ辛いお気持ちになられたのですね」と共感することで、心理的な距離を保ちながら話を聞くことができます。
話を聞きすぎてしまう人は、「一生懸命に話を聞かなきゃ!」と思うがあまり、知らず知らずのうちに同調を重ねてしまいやすい傾向があります。
また、「利用者に嫌われたくない」という思いが強いと自然と同調が増えてしまうので、注意が必要です。
「共感」と「同調」の違いを意識して、上手に使い分けていきましょう。
相手の感情の責任を背負わないこと。
次の訪問に遅れてしまうので、なんとか話を切り上げたんですけど、そしたら利用者さんはとても寂しそうな顔をしていました。私のせいで辛い思いをさせてしまったと思います。
このようなお話を聞くことがあります。利用者さんの気持ちに寄り添える、とても優しい人ですよね。
ただ、「相手の気持ちを尊重すること、共感すること」と「相手の感情の責任を負う」ことを混同してしまうと、話を切り上げる時のストレスが倍増してしまうので注意が必要です。
あなたが時間になったことで話を切り上げて、まだ話を聞いてほしかった利用者が辛い気持ちになった場合、その利用者の「辛い」という感情の責任は、あなたではなく利用者自身にあります。
「あなたが利用者を辛くさせた」のではなく、「利用者が辛さを感じた」のです。
この違いがわかりますか?
ここの区別が理解できないと、相手の感情の責任を負うことになりますから、「利用者を不満にさせてはいけない」と考えてしまい、距離がとれなくなります。
相手の顔色ばかりが気になり、不安で言いたいことが言えなくなりますから、結果として相手の気が済むまで話を聞くことになります。
繰り返しますが、大切なのは「相手の気持ちを尊重すること、共感すること」と「相手の感情の責任を負うこと」を明確に区別することです。
「まだ話を聞いてほしかったんだろうから、寂しいんだろうな。まあ、でもこればかりは仕方ないよね」と、利用者の気持ちは尊重し共感するが、相手の感情の責任までは背負わない。
これを原則に考えましょう。
ここまで、ついつい話を聞きすぎてしまう対人援助職の特徴と、もっと楽に話を聞けるようになるための具体策について紹介をさせていただきましたが、読んでみていかがでしょうか。
おそらく、「私にそのまま当てはまる!」と感じた方もいるかと思います。
対人援助職が利用者と築く関係性には、家族や友人、職場での日頃の人間関係がそのまま反映されると私は思っています。
ぜひ日常の人間関係におけるコミュニケーションの取り方などを振り返り、できるところから取り組んでみてください。
・困っているんだからなんとかしてあげなきゃ!
・気の利いたアドバイスをしてあげなきゃ!