静岡県裾野市さくら保育園で起きた保育士3人による一歳児への虐待事件を皮切りに、全国の保育園や障害者施設、精神科病院などでの虐待が、日々相次いで報道されています。
静岡県裾野市さくら保育園虐待事件の詳細は以下のページで確認できます。
https://toyokeizai.net/articles/-/637108
また、介護施設の職員らによる高齢者虐待は2021年度に過去最多の739件になったことも明らかになっています。
約2割は同じ施設で再発 介護施設の高齢者虐待過去最多739件
これだけ並べ立てると深刻な事態であることがわかりますが、対人援助の仕事をしている人なら、「そこまで驚かない」というのが正直な感想なのではないでしょうか。暴言暴力、または相手の人間性を尊重しない不適切な対応をとってしまうリスクは、援助職にとってはとても身近にあり他人事ではありません。そのような場面を目撃している人も決して少なくはないはずです。
それでは、なぜこのようなトラブルが度々起きるのでしょうか。暴力的な人が対人援助の仕事を選ぶのか?と言えば、決してそんなことはありません。今回報道されてしまった当事者たちは、きっと「人の役に立ちたい」「困っている人を助けたい」という思いでこの仕事を志した方がほとんどで、まさか自分が加害者になるなんて想像できなかったはずです。
そんな人でも、虐待行為に走ってしまう。その背景には、対人援助職を取り巻く根深い問題が存在します。
今回のブログでは、虐待に至る要因を以下の3つに分けて解説していきます。
- 惨めさ
- 閉鎖性
- 管理職の機能不全
ぜひ、最後まで読んで理解を深めていただきたいです。
「惨めさ」と虐待の関連性
まず、「惨めさ」について解説します。
虐待が起きる背景には、「援助職の惨めさ」を抜きに語ることはできません。過重労働、人手不足は当たり前、加えて低賃金。さらに、パワハラやいじめ、利用者からの暴力やセクハラなどが横行し、それに対して経営者や管理職が見てみぬふりをするような職場は珍しくありません。
低賃金で過重労働をしているにも関わらず、それに対する敬意を職場から感じることができない。そんな環境に居続けると、徐々に自分を惨めに思うようになります。
保育士の例では、日本は一人の保育士が見なければいけない子どもの人数が先進国の中で一番多く、なおかつ国は0歳児以外では50年以上も配置基準を見直していないようです。人手不足の中、どんなに一生懸命に働いても、労働環境は全く変わらない。
こんなはずじゃなかったのに…。
私、何のためにこの仕事やってるんだろう…
この「対人援助職に生じる惨めさ」は、虐待のリスクを強めるものであり本当に危険です。なぜなら、惨めさは「怒り」になり、そして怒りは強いものから弱いものに向かうからです。
怒りは、強いものから弱いものに向かいやすい。
例えば、社長に怒られた課長が自分の部下にキレる。キレられた部下がイライラして帰りにコンビニの店員に理不尽なクレームをつける。理不尽なクレームをつけられたコンビニの店員が、帰ってから子どもに八つ当たりをする。
このように、怒りは強いものから弱いものに流れやすいのです。
では、毎日過酷な労働環境で働き、惨めさを募らせる援助職の怒りはどこに向かいやすいでしょうか?援助職にとって、弱い存在。わかりますよね。言うまでもなく、利用者、患者、園児などがそれに当たります。
実際、裾野市さくら保育園の容疑者の一人は「新型コロナの影響で業務量や気遣うことが増えてストレスを感じていた」と話しています。もちろんそれを言い訳にはできませんが、援助職の現場で起きる虐待は、普段から惨めさを募らせる援助職のストレスの捌け口として、利用者がターゲットになりやすいという根深い構造があるのです。
さらに付け加えると、「弱いもの」は「自分が怒りをぶつけてもトラブルになりづらい安全な相手」であるにこしたことはありません。だから、重い障害があるなどして被害を訴えることができない障害者や高齢者、そしてまだ言葉が話せない一歳児などはターゲットになりやすいと言えます。
怒りは職場にも向かい、投げやりな仕事が増える。
当たり前ですが、職場に対する不満が強くなれば、どうしても投げやりな態度や意識を持ちやすくなります。
人手不足の職場で毎日疲弊しながら働き、イライラや憂うつのコントロールがうまくできず、バランスを崩す人は増えていきます。このような環境下における援助職の行く末は、大きく二つに分かれやすいです。
- モチベーションや体調を維持することが困難になり、退職するか、低め安定でなんとか働き続ける。
- 職場への怒りから、あるタイミングでモンスター化して、好き勝手な振る舞いをするようになる。
①に行くか、②に行くか。
大半は①です。だから援助職の現場は燃え尽きが多く、どこも人手不足なのです。そして、人手不足の職場には②のモンスター傾向の人が残りますから、より職場環境が悪化します。
虐待行為も、職場への抗議の一環で行われることがあります。 経営陣や管理職への当てつけで、利用者にぞんざいな対応を行うわけです。こうなると悪循環で、職場はモンスターに注意をして辞められては困るので、何も言えず野放しになります。
このような構図で、モンスターが管理職以上のパワーを持って職場を牛耳る。これは「対人援助職あるある」です。
モンスター化してしまう人は色々な特徴がありますが、一つを挙げると「思いの強さ」がある気がします。この仕事への思いが人一倍強いからこそ、それが怒りになってしまうんですね。
私がこんなに真面目にやってきたのに、職場はひどすぎる!
こんな風に、自分の思いが強すぎるが故に、報われない時に恨みに変わりやすいのです。
こうして、初めは熱意あふれる仕事をしていた援助職が、やさくれたような態度で雑な仕事をするようになり、職場のモラルが低下していきます。
また、相手が自分の思うようにならない時に、他責で物事を考えやすい人は恨みつらみの関係になるので要注意です。例えば、「苦しい労働環境を改善してほしい」と何度も職場に訴えても、一向に取り合ってもらえない時。それでもその職場で働き続けるかどうか、そこからは自分の責任であり、自分で決めるべきことなのです。
「職場に伝えることは伝えたけどダメっぽいな。ここから先、我慢してここで働き続けるか、それとも退職するか、どうするかは私が決めないと」
このように考える人は、人間関係のストレスが減ります。それが苦手な人は「私がこんなに苦しいのは職場の責任だ!」「本当はすぐに辞めたいのに、利用者から『頼むから辞めないで』と言われて、仕方なく働いている」と他責的になります。
他責的になるほどに恨みつらみが増えていきますから、職場や利用者に対して怒りが向き、トラブルが増えます。
閉鎖的で風通しの悪い職場では「真っ当なこと」を言うと問題にされる。
次に、閉鎖性について解説します。
援助職の現場で虐待が起きやすいのは、虐待の事実が表に出づらい、閉鎖的で風通しの悪い職場環境が密接に関連しています。例えば小規模の施設のように、人の出入りが少なくて、毎日同じメンバーで少人数のスタッフで働く場合、どうしてもスタッフ同士の関係が家族的な距離感になりやすいですよね。
家族的な職場の良さもあると思いますが、気をつけていないと各々の私的な感情が強く反映される職場にもなりかねません。
このようなイメージです。
このような環境では、スタッフは「強いもの」と「弱いもの」に分かれ、強者が職場を牛耳るようになります。援助職と利用者の関係も、境界線が崩壊して家族的な関係になります。親子や友人、恋人のように、個人的な感情が強く反映されやすい関係になるため、当然ですが感情がストレートに向かいやすくなるでしょう。
虐待などの事件がすぐに表に出ない理由は単純で、閉鎖的な職場では、世間の非常識がそこでの常識になり、「真っ当なことを言うと浮いてしまう」からです。
先ほど、「家族的な職場」と言いましたが、家族には、家族の中だけの独自のルールや常識がありますよね。
例えそれが世間の非常識でも、「強者」が絶対のパワーを持つ家庭ではそれが常識になります。「お前らはボクシングチャンピオンをめざすんや!!」と強いお父さんに言われて育てばそれが当たり前になり、「サッカー部に入りたい」なんて言ったら、家の空気が凍ってしまいます。
園児を逆さ吊りにしている先輩保育士に「それは虐待ですよ!」なんて指摘をしたら、「は?あんたなんなの?」とキレられてしまうかもしれないし、その時は誰も守ってくれません。
虐待が日常の職場で波風立てずに働き続けるなら、基本はこの2択ではないでしょうか。
付け加えると、前者の黙って「じっと耐える」というのも、続けていると葛藤が高まりいずれ限界がきます。そんな時、自己防衛の一つの手段として、人は感覚を麻痺させることができるんですよね。
そうやって虐待が職場の日常になっていきます。
問題を放置する管理職により、職場は無法地帯となる。
最後は、管理職の機能不全です。
虐待が定着する職場環境を成立させる最大のピースは、言うまでもなく「役割を果たすことのできない管理職」の存在でしょう。それは、援助職の現場の独特な職場環境がそうさせているとも言えます。
例えば、経営陣がほとんど現場に来ることがなく、すべて特定の管理職に丸投げするような職場もたくさんありますよね。または常に人手不足の職場では、「管理職の順番が回ってきた」くらいの認識で昇進してしまうので、管理職としてじっくりと教育を受けていくような環境ではないのです。
私に相談に訪れる援助職の管理職の大半は、「管理職として何も教わっていない」と口にします。「仕事ができる」とか、「人をまとめられそう」とか、「長く勤めている」といった理由だけで役職者の名札をつけられ、責任だけ負わされているイメージです。
新人教育、職員の問題への対応など、役職者として果たす役割を学ぶ機会がないのですから、職場としての方針を示して動けるはずがありません。そもそも、職場の方針すら明確ではないところがほとんどですから、役職につけられてもどうしてよいかわかりませんよね。
そのような状況で、ワンマンになってしまう人もいれば、何も決められず、何も注意できず、ただただスタッフに嫌われないように振る舞う人もいます。
このようにして管理職が機能しないことで、閉鎖性はより強化され、モンスター化するスタッフの問題行動が助長され、人が辞めていき、職場が無法地帯となっていきます。
ここまで、虐待が根付く職場の構造を解説いたしました。援助職の方が読むと途方に暮れてしまう内容であったかもしれませんが、これから日本全体が深刻な人手不足を迎えることを想定すると、より事態は悪くなっていくでしょう。
それでは今、私たち対人援助職にできることは何でしょうか。私は、援助職を取り巻く環境に強い危機感を覚え、セミナーを開催し、そしてブログを書き、もうすぐ7年になります。多くの方に私の話を聞いていただきました。
私ごときの力で援助職の環境を変えることができるなんて思っていませんが、それでも、さざ波程度でも起こせればと思い発信してきました。今日も虐待はなくなりません。パワハラやいじめも減りません。この瞬間も、傷ついて辛い思いをしている人はたくさんいるでしょう。私はこれからも伝え続けることしかできません。
だから、もしもあなたが私の話に共感していただけるなら、少しの時間でもいいので、今のあなたにできることを考えてみてほしい。それが私の願いです。