徹底解説!神戸市の教員間いじめ問題。「暴力が蔓延し崩壊する職場」の人間関係の構造と特徴とは。

事件・事故の解説

今回は、神戸市の東須磨小学校で起きた4人の教員による同僚いじめの問題を「暴力が蔓延する組織の構造」を切り口に解説していきます。

2019年10月、神戸市の公立小学校で、先輩教員が20代の男性教員に極めてひどい内容の暴言・暴行・器物破損・セクハラなどの嫌がらせを繰り返し、被害に遭った教員は精神的苦痛から体調を崩し休職に至る前代未聞の出来事が発覚しました。

被害者が他にも複数いたこと、学校側の隠ぺい、そして前校長によるパワハラなども発覚し、あまりにも劣悪な職場環境であったことが日々浮き彫りになっています。また、「神戸方式」と呼ばれる独自の人事制度も、いじめを助長した要因として問題に上がっています。

私はこの問題について報道を見るレベルでしか情報を得ていませんが、この東須磨小学校で起きたいじめ問題は、「パワハラやいじめなどの暴力が蔓延する、離職者が絶えない職場環境の構造」を説明するのに十分すぎるほどの材料が揃っていると感じます。

ここから、今回のいじめ問題の背景にある人間関係の構造を説明していきますので、ぜひ読んでみてください。

ブログ執筆者 AIDERS 代表 山﨑正徳のプロフィールは こちら


「神戸方式」により強化された校長のパワー

まず、初めに触れておきたいのが、神戸には「神戸方式」という、校長の好きな先生を選んで自分の学校に置いておくことができる独自の人事制度がありました。

校長は学校ではトップで管理監督者に当たるわけですから、言うまでもなく、もともと役職者としての強いパワーを持っていますよね。当然ながら、校長に飲み会に誘われれば新人は断りづらいし、校長から注意を受ければ不安や落ち込みを強く感じることもあるでしょう。

だからこそ、管理職は自分の持つパワーを自覚して部下に接していかないと思わぬトラブルが増えるわけです。

そのパワーに無自覚な管理職ほどパワハラを繰り返すため危険です。

・あれだけで傷ついちゃうの?
・イヤなら飲み会くらい断ればいいのに…

自分にそんなパワーがあると思っていなければ、自分の行動を戒めるよりも、相手の捉え方の問題にして終えることができまよね。極端に例えると、身体が大きくなってきた子どもが、自分のパンチの強さを自覚せず、友達を殴ってしまうようなものです。

痛がって泣く友達に、「僕のパンチなんて全然痛くないのに。大げさだなー」とキョトンとする。だから、誰かがちゃんと「そんなことをしたら危ないよ」「あなたのパンチは痛いんだよ」と教えてあげないといけないのです。

ただ、学校の校長はある意味孤独で、誰からも注意や指摘をしてもらえません。誰からも指摘を受けず、自身を省みることもなく、行為がエスカレートしていく。学校の管理職を取り巻く環境は、そもそもハラスメント行為を助長しやすいとも言えるのです。

実際、東須磨小学校の前校長は2017年の教頭時代、被害に遭った教員(当時1年目)に飲み会参加を強要しているようです。

教頭の時からパワハラをしていた人が「神戸方式」という強力な人事権を持った校長に昇進する。

生徒側で例えると、部活で後輩に暴力を振るう最も怖い2年の先輩が、3年生の引退と同時に部長に任命されるようなものです。しかもその部活は実質顧問が不在で、部長がレギュラー選びや練習の内容など、ほとんど全ての権限を持つとしたら。

これがどれだけ危険なことであるか、わかりますよね。実際、前校長は「裏切ったら切る。誰についたらいいかわかるやろ」と言っていたようで、好き嫌いも激しかったようです。

これは現場の教員にとってはとてつもない脅威です。 公立の小学校の校長が、なぜここまでのパワーや万能感を持ってしまったのか。 その大きな要因の一つが、「神戸方式」にあると私は感じます。


支配者のいる職場で起きる「専門職としての存在意義の喪失」

管理職(校長)が強いパワーで部下(教員)の安全を奪い、不安や恐怖で支配する。

このような支配者のいる職場ではどのような問題が起きるのか、ここから詳しく説明していきます。
支配を受けたことのある経験は誰にでも大なり小なりあると思いますが、支配を受けると、常に相手の顔色を窺いながら行動しやすくなります。

〇〇なんて言ったら、きっと校長は怒るよな…

こうやって、(もちろん個人差はあるものの)教員は常に校長の気持ちに焦点を当てて行動しやすくなります。

子どもが好きで、目の前の生徒に真摯に向き合いたい。少しでも子どもの役に立ちたい。 こんな気持ちで教師を志したにも関わらず、今、自分の考えていることは「今日が無事に終わること」「校長に目をつけられないこと」、そんなことばかり。

生徒や保護者と向き合っていても、「こういう対応で怒られないかな」と支配者の顔が頭に出てきやすくなります。

恐怖や不安に支配された教員の葛藤は「教師なのに教師ができないこと」ではないでしょうか。

教師だけでなく、福祉や医療などの現場で働く専門職も一緒です。決して待遇や環境が良くないことくらい百も承知で、でもやりがいや生きがいを求めてこの業界に入ってきた。それなのに、やりがいどころか傷つけられることに怯える毎日。

これは専門職としてのアイデンティティ崩壊の危機です。

そのような環境で働き続けると、存在意義を見失い、惨めさ、怒りや悲しみが慢性的に強くなります。強い惨めさや怒りなどの「満たされなさ」が蔓延した職場は、とにかく危険です。

その満たされなさは、お互いに不信や嫉妬を招き、いじめやパワハラなど、暴力的なトラブルが量産されやすい環境の土壌となるのです。


支配者の下では、人間関係が「強者」と「弱者」に二極化する。

支配者のいる職場での人間関係の特徴をさらに詳しく説明します。

支配者のいる職場では、「支配者の欲求を満たすことに長けた人」が評価を受け、パワーを持つようになります。

教員としてのスキルや経験、勤怠などの総合的な評価ではなく、言ってみれば「好き嫌い」に近い評価です。例えば、校長の望むような受け答えをして校長の機嫌をとって、常に飲み会に付いていくなどして校長を心地よくさせることができれば、職場での地位を確立することができます。

皆さんの職場にもいるのではないかと思いますが、こういうのが本当に上手な人がいるんですよね。 こうやって、特別な評価を得てパワーを手にする人たちは、大抵現場で地道に頑張っている人たちと溝ができます。

「校長の評価を最優先に行動する人たち」と「教員としての誇りを捨てず、現場で頑張る人たち」

まさに水と油ですよね。このように、支配者がいる職場は簡単に派閥ができ、人間関係は悪くなるのです。

この東須磨小学校ではどのような構造だったのでしょうか。

報道によると、加害者側の4人の内2人は強い人事権を持った前校長から評価を受ける中心人物で、その中には前校長がスカウトした女帝もいました。

  • 女帝以外の3人は女帝に嫌われたくない一心だった。
  • いじめを主導した30代の男性教師は、特に重要とされる6年の担任を4年連続で任され、いじめ対策も担当。本当に中核教員だった。いつしか先輩教員への呼び捨てが始まり、周囲には加害仲間が集まった。

報道にはこんな記述がありました。

これを見ればわかる通り、神戸方式の環境下ではまさに勝ち組で、圧倒的な強者です。このような形で特別なパワーを手にした人たちは、そこに自身の存在意義を見出すために自分達を特別だと思いこみ、弱い立場の人の人間性を軽んじるような行動をとりやすくなります。 いわゆる「弱い者いじめ」が始まるのです。

わかりやすく言うと、ジャイアンを味方につけたスネ夫みたいなものでしょうか。「ジャイアンがついていればのび太に何をしても大丈夫だ」と思い、行為がエスカレートしやすくなります。

加えて、支配者に気に入られる行動をとることに長けたこういうタイプの人は、(あくまで私の印象ですが)もともと自信がない人が多いのです。自信がなくて不安だから、「自分が教師として、人としてどうありたいか」よりも「上司に気に入られること」「職場で安全を確保すること」を優先してしまいます。不安で不安で仕方ないからです。それを示すこんな報道もあります。

いじめの加害者である男性教員の一人は、東須磨小に赴任した当初、『おそろしい学校だ』という印象を受けたと言い、被害者の男性教員をかばう一面もあった。しかし、最終的には朱に交わってしまった。

おそろしい学校だからこそ、その中でサバイバルをするための方法が「支配者側に気に入られること」になり、この先生はそれを一生懸命に頑張り、目的を達成できたのでしょう。

とても残念なことですが、このようにして、暴力が蔓延する職場では「人間関係が強者と弱者に二極化しやすくなる」のです。


支配者に睨みを訊かせて秩序を守る、「現場のカリスマ」の重要性。

さて、ここでひとつ大事なポイントを説明します。

「教員としての誇りを捨てずに、現場で頑張る人たち」は、安全を守るために、支配者側の行為に歯止めをかけなければなりません。ただ、自分たちは職場での地位は弱く、対抗するのに必要なパワーが限られています。

では、彼らが使うことができる最も安全で効果的なパワーとは何でしょうか?

彼らが対抗するために使うことができるパワー

それは、専門性です。

教師としてのスキル、また生徒や保護者からの信頼が厚ければ厚いほど、支配者側の無秩序な行為に対して睨みをきかせ、時にははっきりと意見を言うなど、歯止めをかけるストッパーになれるのです。それがベテランの教師で、加害者の教師にとって逆らえない怖い存在であり、なおかつ校長も恐れるレベルなら役割としては最適です。

つまり、「教員としての誇りを捨てない派」に必要になるのは、圧倒的な専門性と威厳を持つ「現場のカリスマ」です。

「現場のカリスマ」が一人いれば、秩序を保ち、弱者を守ることができます。東須磨小ではどうだったのでしょうか。報道では、この学校の卒業生がこうコメントしています。

(加害者の)先生と同じ学年を受け持っていた怖い先生がいました。生徒たちも怖がっていましたが、すごくいい先生でした。その先生がいたときは、ほかの先生たちのストッパーになっていたと思います。僕たちが卒業した後に、その先生も異動になり、やりたい放題になったのでは。

実際のところはどうなのか全くわかりませんが、この話が本当なら、どうやら東須磨小には秩序を守る「現場のカリスマ」はいたかもしれないのです。

ただ、残念ながら異動になってしまった。校長にとって邪魔な存在で追い出されたのか、または他の校長から評価を受けて異動になったのかわかりませんが、 これがひとつのターニングポイントと見ることができます。

これで、より強者がパワーを持ち、カリスマを失った弱者側は無力感に苛まれた。

人間関係がはっきりと二極化したと私は考えます。

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