「もっと上手に、そしてもっと楽に患者さんの話を聞いてあげられるようになりたい」
「患者さんの気持ちに少しでも寄り添える相談員になりたい」
対人援助職にとって「話を聞く」というのは切っても切り離すことのできないとても大切な仕事です。だからこそ、誰もが「上手に話が聞けるようになりたい」と思うものだと思います。でも、「一生懸命に話を聞いているのに、どうもうまくいかない」「なぜか怒らせてしまったり、巻き込まれてしまったり、思わぬ方向に進んでしまうことが多い」といった悩みを抱えている方にも多く出会います。
あなたはいかがでしょうか。
私はこれまで対人援助職の方の相談を多く受けてきましたが、「一生懸命に話を聞いてもうまくいかない」という人の中に、「共感」と「同調」の違いをうまく理解できていない方に多く出会いました。この二つの違いがわかっていないと、いくら一生懸命に話を聞いてもうまくいかないことが増えるのです。
今回のブログは、「共感」と「同調」の違いについて解説してきますので、ぜひ最後まで読んで仕事に活かしていただきたいです。
まず、実際に私が受けた訪問看護師さんの相談を紹介いたします。
話を一生懸命聴いて、共感しているつもりなのに…
昨日、訪問先で利用者さんを怒らせてしまいました。
自分としては一生懸命に話を聴いていたつもりなんです。でも、最後は「あなたに言わなきゃよかった」「期待したのにがっかりだ!」とか、強く責められてしまいました。
詳しく経緯を話すと、その利用者さんは、私に「薬を飲みたくない」「医者も家族も、みんな私のことを病気だって言って。全くおかしい!薬なんて必要ないし、病気でもない!そもそもこの前も無理やり入院させられたんだ!」「みんなひどいと思いますよ。あなたもそう思うでしょ?」みたいに訴えるんです。
だから私は、気持ちに寄り添って、少しでも共感できればと思って話を聴いたんです。「確かにそうですよね」「うん、そのお気持ち、わかりますよ」って。そしたら、その利用者さんは嬉しそうにして、先生や家族の悪口を私に言い続けました。私も、うまく聴けているのかなと思って、そのまま「うん、そうですね」と話を聴いたんです。
そしたら、最後の方に利用者さんが「じゃあ、今日は薬飲まなくていいよね?」と言ってきました。
私は、「いえ、お辛いでしょうけど、薬は飲みましょうね」と言いました。そしたら、利用者さんが急に怒ったんです。「なんだ!あなたも結局そう言うのか!」「期待してたのにがっかりだ!あなたに言わなきゃよかった!」と。
それまで嬉しそうに話していたので、急なことで驚きました。責められて辛かったです。「今日は薬を飲みましょうね」と伝えたんですけど、やっぱりそれが悪かったんですかね。でも、あの場面ではそういうしかなくて。そこでも共感すべきだったんでしょうか?
対応に困ってしまいました…。私はどうすれば良かったのでしょうか…。
利用者さんのことを思い一生懸命に話を聞いているだけに、これは本当に辛いし、どうしたらよいのかわからずに途方に暮れてしまいますいよね。本当に大変だったと思います。
利用者さんの気持ちに精一杯寄り添って対応をしているつもりなのに、なぜか怒らせてしまう。それも、今回は初めてではなく、過去にも何度もあった。
さて、あなたは何が原因だと思いますか?どうしてこの利用者さんは怒ったのでしょうか。ぜひ、この看護師さんと利用者さんとのやりとりを見返して、考えてみてください。
私がこの看護師さんに助言した内容は、まさに今日のブログのタイトル通りのことで、「共感と同調の違い」についてです。ここから説明していきます。
「同調」とは「相手に調子を合わせ、相手と同じ意見や態度になること」
不本意な入院をさせられて、医者や家族に不信感を持つ利用者さんの話を聴くときに、「同調」をするということは、つまり「あなたの意見や考えは間違えていませんよ」ということですよね?
「入院は必要なかったんだ!」と訴える利用者さんに対して、「そうですね」と返答する。
「家族も医者もわかってない!」と不満を言う利用者さんに「お気持ちわかります。そうですね」と言う。
こんな感じで返答することは、つまり同調してしまっているんですよね。だから、利用者さんからすれば、「この訪問看護師さんは、自分の味方だ」と認識するわけです。とても心強いでしょう。医者や家族に物申してくれるのではないか?自分を救ってくれるのではないか?と期待が一気に高まります。だから、期待をもって「じゃあ、今日は薬飲まなくていいね」と言ったのです。
そしたら、「いえ、お辛いでしょうけど、薬は飲みましょうね」と言われてしまった。「なんだ?味方じゃないのか!あんた、さっきまでその通りだって言ってただろ!」こんな感じで、見事に期待を裏切られた利用者さんは、期待が高かった分の怒りを爆発させたのです。
だから、「薬を飲みましょうね」と言ったことがまずかったのではなく、それまでの話の聴き方に問題があったのです。共感のつもりが、完全に同調してしまっていたのです。
私は同調をすることが良くない、と言っているのではありません。誰だって同調したい時は同調します。
今回まずかったのは、「同調しているのに、同調の意識がなく共感だと思っていたこと」これが問題なのです。
「共感」とは「他者と喜怒哀楽の感情を共有すること」
例えば、「ずっと楽しみにしていた家族でのキャンプ当日に大雨が降ってしまいキャンプが中止になった。本当に残念だ」と友達が話していたら、楽しみにしていたキャンプに行けなかった友達の気持ちを想像する。
辛いよなー
落ち込むな
雨だから仕方ないと頭ではわかっていても、無念だよなー
こうやって想像して、友達の気持ちに寄り添うこと。あなたの気持ちを伝えたければその気持ちを伝えること。
そうなんだ…。それは残念だったね。辛いね。
繰り返しますが、こうやって相手の気持ちを想像して、寄り添うのです。これが共感です。
同調とは大きく違うこと、わかりますよね。
今回相談のあった利用者さんの気持ちに共感する場合について考えてみます。
「医者も家族も、みんな私のことを病気だって言って。全くおかしい!薬なんて必要ないし、病気でもない!そもそもこの前も無理やり入院させられたんだ!」と言ったら
私ならこんな風に気持ちを想像します。
そこで、その気持ちを伝えたいと思ったら、「なるほど…。それはお辛い気持ちになりますね」などと言葉にする。相手の気持ちを考えた時に適切な言葉が見つからなければ、ただ黙って聴いているのもひとつの形です。こうやって、十分に気持ちを想像し、寄り添うのが共感。
その流れで、「今日は薬を飲まなくていいかな?」と尋ねられたら、そこも共感はしつつ、こちらの考えを伝える。確かに、薬は飲みたくないし、私に「飲まなくていいよ」と言ってほしいんだろうな。でも、私はそんなこと言えないし、それを言ったらきっとがっかりするだろう。こうやって気持ちを想像し、寄り添い、返答します。
そうですね。お気持ちを想像すると本当にお辛いと思います。でも、ごめんなさい、お薬は退院の時に約束した通り、飲んでくださいね。
共感がうまくできていれば怒られないというわけではないので、結果としては「あなたに言わなきゃよかった!」と怒られてしまうかもしれません。
それでも、その怒りにも共感すればいいのです。
「お辛いですよね」
これでいいのです。これを繰り返すことで、もしかしたら「この人はわかってくれる」と思ってもらえることがあるかもしれませんよね。
ここまで、「共感」と「同調」の違いについて解説しましたが、理解できましたか?私の印象ですが、共感が苦手な人は、相手と良い関係を築きたくて、ついつい無自覚に同調してしまいやすいのかもしれません。そんな傾向がある方は、バウンダリー(境界線)を切り口に、ご自分のことを振り返ってみてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
そうか、この利用者さんは、自分は病気じゃないと思っているんだな。それなら、薬を出されるのも不本意だろうし、入院だって辛かっただろうな…。だから、それを私にわかってほしいんだな。これだけ声を荒げるのも、それくらい困っているからだろうな。苦しいだろうな…。