今回は、大学教員に向けて「安全な人間関係の距離感=バウンダリー(境界線)」をテーマにお話しします。
これは以前、当方の研修を受講した大学教員の方からいただいた感想です。
大学という場で学生と向き合うことは、単に知識を伝達するだけでなく、数年間にわたって一対一の深い師弟関係を築く場面もあるでしょう。
特に、卒業論文や修士・博士論文の指導、あるいは実験や研究の場面では、教員と学生の距離が物理的にも精神的にも非常に近くなりがちです。
大学教員は、学生を育てるために「信頼関係」を築く必要がありますが、どれだけ仲良くなっても、二人の関係はあくまで「教員」と「学生」です。
指導上、時には厳しい注意も必要ですし、ハラスメントにならないよう細心の注意も払わなければいけません。
「親密さは大切。でも、踏み込みすぎてはいけない」
この板挟みのなかで、絶妙なバランスを取り続けるのは、本当に難しいことだと思います。
だからこそ、大学教員にとってバウンダリー(境界線)の意識を持つことがとても重要です。
まずは、バウンダリーの基本的な考え方について、こちらのブログで確認してみてください。
上記のブログ記事では、バウンダリー(境界線)が保てない時に起きる問題を、「支配・被支配の関係」「共依存の関係」「無関心」という三つの関係性で説明しました。
それでは、安全な人間関係の距離感を保つために、どのような意識や気持ちで、学生との距離を保つ必要があるでしょうか。ここから、チェックリストを紹介しますので、ぜひ参考にしてみてください。
学生を支配してしまいやすい教員の考え方

「研究の面白さを伝えたい」「一流の研究者に育てたい」という強い責任感や、学生の将来を思う温かい気持ちがある。
しかし、その「熱心さ」が、いつの間にか「自分は正しいのだから、相手は従うべきだ」という特権意識にすり替わってしまうことがあります。
指導という名目があれば、何を言っても許される。
相手のためだと思えば、時間をどれだけ奪ってもいい。
このようにして境界線が踏み越えられた時、「熱意」は、学生を追い詰める「支配」へと姿を変えてしまいます。
研究室という「密室」が招くリスク
さらに、大学という組織特有の難しさもあります。
研究室は、どうしても外部の目が届きにくい「密室」になりがちです。
そのうえ大学という組織は、一般的な企業と違って管理職によるチェックが機能しにくく、先生の振る舞いに「それはやりすぎですよ」と注意してくれる存在がほとんどいません。
こうした環境では、知らず知らずのうちに、研究室が先生にとって「自分の思い通りになる空間」になってしまう危険があります。
学生を教え子として育てるはずが、いつの間にか自分の所有物のように「私物化」してしまい、コントロール下に置いてしまう。
この構造こそが、バウンダリーが崩れる大きな要因なのです。
「無自覚な支配」という落とし穴
こうした「私物化」や「コントロール」の多くが、教員自身の「無自覚な善意」から始まっているということが多いのも特徴的です。
「この子の将来のためには、今厳しくしておくべきだ」
「自分の研究手法を叩き込むことが必要だ!」
こうした熱心な思いがあるからこそ、「相手がどう感じているか」という境界線への視点が抜け落ちてしまいます。
本人にその気はなくても、圧倒的な権力差がある研究室という場では、教員の何気ない一言や期待が、学生にとっては「拒めない命令」となり、逃げ場を奪う支配へと変わってしまうのです。
学生と共依存関係に陥りやすい教員の考え方

教員として、学生から信頼されたい、気に入られたいと思うのはとても自然なことです。
特に今の大学環境では、学生一人ひとりと丁寧に関わり、満足度を高めることも求められていますから、こうした思いを持つのは当然とも言えるでしょう。
しかし、その「熱意」や「思いの強さ」には少し注意が必要です。
学生を思う気持ちが強すぎると、いつの間にか「教員と学生」という適切な距離を越えて、家族のような、あるいはそれ以上に密着した関係になってしまうことがあります。
一見、とても温かくて理想的な関係に見えるかもしれません。
けれど、バウンダリー(境界線)が曖昧になったまま密着しすぎると、思わぬトラブルを招くことにもつながりかねません。
共依存関係で生じやすい人間関係の落とし穴
このように、善意から始まった関わりが、いつの間にか「ハラスメントのリスク」や「お互いの息苦しさ」へと変わってしまうことがあります。
「嫌われたくない」という思いから必要な指導をためらったり、過剰に世話しすぎたりすることで、「自立」とは真逆の「力を奪い合う依存的な関係」になる。
これでは、せっかくの熱意が、お互いにとっての「負担」になってしまいます。
共依存関係を防ぐうえで大切になる「過剰適応」の理解
共依存関係を防ぐために、まず知っておきたいのが学生の「過剰適応」です。
過剰適応とは、自分の気持ちや体調を後回しにして、周囲の期待やその場の空気に合わせすぎてしまう状態を指します。

先生のもとで学べてとても嬉しいです!
こうした姿は、一見すると「優秀で意欲的な学生」に見えるかもしれません。
しかし、教員側がこれを「自分への信頼や好意」だと誤解してしまうと、そこに甘えが生じ、つい何でもお願いしたり、過度に頼ったりという「依存」が始まってしまいます。

はじめは頼りにされているのが嬉しくて、期待に応えたいと頑張っていました。 でも、最近は何でもお願いされるようになって……。 少しでも断るような素振りを見せると、先生が不機嫌になったり、寂しそうにしたりするのが分かって、それが怖いんです。 正直、先生との関係が重い。でも、嫌われたら自分の居場所がなくなると思うと、笑って合わせるしかありません。
教員は「信頼されている」と思っていても、学生側は「嫌われないための必死な適応」をしているだけかもしれません。
このボタンの掛け違いが、お互いをじわじわと追い詰めていくことになります。
学生が「合わせすぎてしまう」のは、教員の持つパワーの裏返し

そんなに私との関係が重かったなら、はっきり言ってくれればいいのに……
教員側が陥りやすいのが、このような思い込みです。
しかし、学生にとって、教員は単位や卒業、さらには将来の進路まで左右しかねない大きな存在です。
学生の立場からすれば、「嫌なら言って」は通用しないのが現実です。
教員は、自分が思っている以上に、学生に対して強力な「パワー」を持っています。
学生が笑顔で対応し、指示を先回りしてこなしてくれるのは、純粋な信頼である以上に、教員のパワーに対する「適応」の可能性もあります。
もし、「すごく居心地がいいな」「ついつい甘えたくなるな」と感じる学生がいたら、そこが一番の注意点です。
「この居心地の良さは、相手が無理をして作っているものではないか?」
そう自分に問いかけ、背筋を正すくらいの意識を持つこと。
それが、お互いを守るためのバウンダリー(境界線)の構築に繋がります。
「役割」と「責任」の境界線を意識する。

ゼミの学生からプライベートな相談を受けることがよくあります。複雑な家庭環境に置かれている子も多く、自分では適切に距離を置こうと思っていても、深刻な話を聴き続けるうちに、いつの間にか境界線が曖昧になってしまうんです。
もともと親身になりやすい性格なので、気をつけたいとは思いつつも、現実はなかなか難しい。相手に入り込みすぎず、でも冷たく突き放すわけでもない。そんな関わり方のコツはあるのでしょうか?
学生に頼られれば、つい力になりたくて入り込んでしまう。
これは教員としてごく自然な反応ですし、それだけあなたが学生思いであるという証でもあります。そこで迷いや葛藤が生じるのも、無理のないことです。
ただ、ずるずると巻き込まれないために、一度立ち止まって「役割」と「責任」を整理してみましょう。
- 学生の話を聴くこと
これは、教員としての「役割」のひとつでしょう。 - プライベートな問題を解決してあげること
家族の問題やメンタルヘルス問題まで解決してあげることは、教員の「役割」や「責任」でしょうか。
本来の役割を越えて、学生の人生の問題まで背負いすぎてしまうと、境界線は一気に緩くなり、私的な関係へと踏み込んでしまいます。
「どこまでが自分の役割で、どこからが専門家や本人に任せるべき領域なのか」
この線引きを意識することが、学生を突き放すことではなく、結果としてお互いを守るための「健全な関わり」に繋がります。
「解決してあげること」と「話を聴くこと」の違い

困っているんだから、なんとかしてあげないと…。なにか良いアドバイスはないかな…
解決してあげようとすればするほど、教員の役割と責任が曖昧になり、距離がとれなくなります。

大変そうだけど、教員の僕にできるのは話を聞いてあげることくらいかな…あとは学生相談室に任せよう。
「解決できない自分」を責める必要はありません。むしろ、自分の役割の限界を認めることこそが、学生を適切な支援へと繋ぐ、プロとしての誠実な対応なのです。
学生の自立を助け、教員も守る「安全な距離感」

このチェックリストにあるような姿勢を意識することで、人間関係の摩擦が生じづらい、お互いを守る距離感を構築することができます。
この「適度な距離感」を保つことが、双方にとって最も安全で、学びの場をつくる土台となります。
大切なのは、バウンダリーを「保つこと」ではなく「意識すること」
ここまで読んでみて、いかがでしょうか。
バウンダリーの大切さは頭では理解していても、実際の現場で行動に移すのは、決して簡単なことではありません。
また、今、学生との関係が「適切な距離を保てているかどうか」を客観的に判断するのも難しいものです。
でも、本当に大切なのは「完ぺきにバウンダリーを守ること」ではなく、「バウンダリーを意識する習慣を持つこと」です。
大学の教育現場、特にゼミや個別指導などの場面では、むしろ「家族的な距離感に近い関わり」が求められたり、自然とそうなってしまったりする場面も多いはずです。
学生の人生に深く関わる時期だからこそ、単なる「教員と学生」という枠組みを超えた、濃密な関わりになるのは自然なことです。
大切なのは、「いま自分は、少し踏み込みすぎた距離感で接しているかもしれない」と自覚し、自分自身で(あるいは信頼できる同僚と)調整していくことです。
「無自覚に」入り込むのではなく、「自覚して」距離を測ること。
それができれば、学生にとっても、教員自身にとっても、安全で健全な教育環境を保つことができます。
常にバウンダリーの意識を持ち、自分の立ち位置を点検する習慣をつくること。
それが、大学教員として長く、健やかに、そして情熱を持って指導を続けていくための「大切な力」になるはずです。

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今回初めて『バウンダリー』という概念を学びましたが、正直にお話しすれば、講義の間は耳の痛いことばかりでした。
特に教員としての経験が浅かった頃は、『学生に慕われたい』『自分のゼミをどこよりも活気ある場所にしたい』という一心で、あえて友達のような距離感で接していました。
それが自分の良さであり、教育的な熱意だと信じて疑わなかったんです。しかし、講義で『共依存』の話を聞いてハッとしました。当時は関係が近くなりすぎてしまい、指導者として言うべきことが言えなくなったり、お互いに緊張感を欠いて泥沼のような人間関係に悩んだこともありました。
あれは熱心さではなく、私自身が境界線を踏み越えていたのだと気づかされました。もっと早くこの視点を持てていれば、自分も学生も守れたはずです。
大学教員はもちろん、人を支援する立場にあるすべての人に、今すぐ必要な内容だと強く感じました。